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節目

こんばんは、あゆです。

やっとあゆの家の近所の桜がチラホラと咲き始めました。

と言っても1つの木に花が1つ2つって感じですが。

それでも、「あぁ、春が来たなぁ」と言う気持ちになります。

さて、数日前までぎっくり腰と風邪のため、寝たきりの生活を余儀なくされたあゆはいろんな本を読みました。

ま、ぎっくり腰や風邪での読書はあまり良くないのですがf(^ー^;

何せヒマだったもので、つい。

その中で「やられたなぁ」と思わせる本がコレです。

秘すれば花

秘すれば花』(渡辺淳一・講談社)という本です。

「秘すれば花」とは能楽の大家、世阿弥が我が子、観阿弥に伝承した能の極意を観阿弥が記した『風姿花伝』という書物に出てくる言葉です。

『秘すれば花』は著者である渡辺淳一がその『風姿花伝』から能だけでなく、我々現代人にも当てはまるモノを選び、記したものです。

で、この本によると人生には6つの節目があるそぉです。

一番最初の節目は、習い事をし始めるのに丁度イイ6,7歳。この年齢は物事を素直に吸収できる年頃なのだそぉ。今では幼稚園受験や小学校受験などと言われていますが、公立の学校に行って文字や計算などを覚え始めるのって小学1年生(6歳)ですよね?

次は13,4歳。この頃は男女共何をしなくてもカワイイ年頃で、意志疎通が出来、誰からも可愛がられるらしいです。が、気をつけなければならないのはその可愛がられているのは年齢からくるもので(本書では『時分の花』と呼ばれ、時が経つと消えゆくものと書かれてました)、自分自身の力に寄るものではない。だから大人がきっちりと気を引き締めさせ、天狗にならないよぉにしなければならないのだそぉです。

次に来る節目は24,5歳。人から教えられることを一通り学び終わる年齢だそうです。やっと周りからも「これでアイツも一人前。やっと独り立ちするときなんだな」と認められ、尚かつ、若くて居るだけで花がある年頃のため、またしても周りから重宝がられる存在になるそぉです。が、ココでもやはり自分の修練の賜物ではなく、人に与えられたモノと若さから来る『時分の花』らしいです。

つまり、24,5歳まで周りから「カワイイ」「カワイイ」と言われているのは何一つ己自身の華なのではないのです。

ココに書いてある年齢は昔の数え年です。なので、現在の年齢で言うと1,2歳下になります。

今年年女のあゆは正しく24,5歳です。

今まであゆが積んできた経験は人から与えられたモノなのです。

決して全部が全部そぉだとは思いません。

少なからず、何らかの経験はあゆ自身がしてきて身に付いたものです。

でも、大半は学校で人から教えられたモノです。

去年大学を卒業し、いわゆる「世間の荒波」に身を投じました。

が、はっきり言って今のあゆは丁度イイ湯加減のお風呂に入っているか、温水プールでプカプカ浮いてるだけのような気がします。

正社員として入った会社を遠いからという理由で半年もしないうちに辞め、「自分のしたい仕事がいい!」とワガママを言い、某車屋さんでアルバイト。週3日しか行っておらず、他のバイトもせず、親から「働け!」と言われるのを全て無視し、某車屋さん以外は家でゴロゴロか「ヒマだぁ」とドライブに行ってるかのどちらか。

そのうち親も何も言わなくなったのを良いことに、怠け態度に良い一層磨きがかかってきた今日この頃。

正しく「時分の華」ですね。

ワガママのし放題です。

頭の中では理解してました。「時分の華」を。

ただ、良い湯加減のお風呂に長く入りすぎて頭の芯が麻痺ってしまってるのです。

やっと重い腰を上げ、就活をし始めました。

それでもまだぬるま湯に浸かっているみたで、「カフェか雑貨屋で働きたいからコレ以外はイヤ」とワガママを言ってます。

でも、そろそろタイムリミットのようです。

とある人にも「女は25歳が限界。25歳までは何もしなくても男が寄ってくる。でも、それ以上になると自分で光り輝かなくては男は寄ってこなくなる」と言われました。

このまま行くとあゆは「時分の華」で終わってしまいます。

本物の花になるか、偽物の花で終わるか、タイムリミットまで後9ヶ月。

とりあえず、行けるところまで突っ走ってみよぉと思います。

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